こんにちは、現在メンヒェングラートバッハ(Mönchengladbach)という街にあるニーダーライン単科大学(Hochschule Niederrhein)に在学中の井早由(instagram)です。
大学での専攻は「Textile and clothing management」といい、日本語訳の通り繊維や衣料を中心に勉強しています。こちらの学科では服のデザインはもちろん、衣類の原料から繊維の製造過程などを学びます。私の専攻について少し想像しづらい方は、学科の公式インスタグラムが参考になると思うので興味のある方は是非のぞいてみてください。
今回、留学体験記を執筆するにあたり、大学の様子から入学までの流れ、留学準備や留学中の苦労話など、一度に書いてしまうと分量が膨大になってしまいます。
そのため私が伝えたい内容を二つに分け、第一回であるこの記事では、私がドイツ大学進学を選んだ理由から、周囲の説得、出発前の留学計画、必要だった書類、そして現地の語学学校や英語試験などなど、大学から入学許可が下りるまでを中心に紹介していきます。
記事の第二回では、ドイツ大学一年生の私が、大学や現在専攻している繊維・衣料マネジメント学科での授業そして課題、また日常生活の様子をお伝えできればと思います。
それではよろしくお願いします。
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一時はどうなるかと思ったドイツ留学の夢、遠回りもしましたが、その中で沢山の経験を得る事ができました。 この経験がこれからドイツ大学留学を目指す皆さんの力に少しでもなればいいなと思います。
日本の大学ではなく、ドイツの大学に進学したきっかけ
ドイツ大学留学のきっかけ以前に、そもそも私が外国に興味を持った始まりは、中学生の時で、ALT(外国語指導助手)の先生と仲良くなり、「英語が話せれば他国の人とコミュニケーションが取れるんだ!」と気付いたことがきっかけです。私はそれ以来、外国への興味は勿論、英語を勉強するのが好きになりました。
中学を卒業して高校生になった私は、学年が進むにつれ周りの同級生達と同様に進路について考えるようになります。英語が好きだった私は当然のように外国語関連の学科なども視野に入れていました。
ただ進路について真剣に向き合うようになってから
「日本の大学で言語だけを勉強することに意味はあるのだろうか?」
と自分の将来について疑問を持つようになります。
悩んだ挙句、英語は好きだけど、私にとって言語は一つのツールであると結論付け、「自分が興味のある専門分野の勉強を英語ベースで学びたい。」と考えるようになりました。
当時の私は日本の大学へ通い、休学を利用して海外留学する事も考えたりします。
しかし、日本の大学主催の派遣プログラムや交換留学制度を使う場合に、大学の授業料と海外での授業料もろもろの費用がかかりすぎる問題や、交換留学は基本半年から一年間の所が多く、仮に最長の一年間であったとしても短すぎ、「専門分野を英語で学ぶ」という本来の希望からそれる事への不安もありました。
そんなある日、私が通っていたダンススクールでドイツから来たという交換留学生に出会います。彼女はドイツと日本のハーフで私と同い年の女の子です。
初めてあった時に「海外の事が知れるチャンスだ」と思い自分から話しかけていきました。そこから彼女の紹介で、他の留学生を交えた交流会に参加したり、毎週ダンススクールで雑談したりしていくにつれ、少しづつ仲良くなっていきます。
彼女との会話の中で留学やドイツ大学に関する話を沢山聞く事ができ、例えば、ドイツの大学ではほとんど授業料がからず勉強が出来る点、学生に対して優しい点、英語でも授業が受けられる事をはじめ、授業料が外国人に向けても一律同じであることから(州によっては授業料を導入また検討している所もあるそうです。)様々な国籍の人と勉強が出来るなど、まさに私が求める環境の理想に近いものでした。
この話をきっかけに、自分でも真剣に調べるようになり、最終的にドイツ大学進学という選択肢が、現実的な留学の予算問題と自分自身の希望(外国語で専門分野を身につけたい)と一番合致していると思い、私はドイツの大学に進学しようと決めました。
ちなみに、ダンススクールで出会った彼女は、私がドイツ語が上手く喋れないからと、遠くの街に住んでいるにもかかわらず、到着してすぐに引っ越しの手伝いにも来てくれたり、役所手続きなど本当に色々とお世話になりました。
もちろん、今でも仲の良い友達です。
高校生だった私がドイツ大学留学のために準備した事
「一度」にではなく、「少しづつ」両親や担任の先生など周囲から理解を得る
私はドイツ留学を心に決めた日、家に帰宅してすぐ
「ドイツの大学に行くの決めたけん!」
と一言、私は父に言い放ちました。父のあっけらかんとした表情は今でも忘れられません。
最初、反対されるかな…と思っていたのですが、以外にも反対する様子はありませんでした。私の家庭は裕福でもないので金銭面は心配していた様子でしたが、自分の計画(次の項目で詳しく述べています。)を説明すると、すんなり納得してくれました。
しかし、高校三年生という事もあって、避ける事が出来ない担任の先生との三者面談が訪れます。高校生として自分の将来を説得しないといけないのは、両親だけでなく先生も同じです。
その際に、ドイツに行きたい旨を話すと、無謀すぎるのではないか、そもそも模試の点数も良くないのに何を言ってるんだと反対されました。
学校側も一方的に反対するだけでは酷だと思ったのか、当時通っていた高校の進路指導の先生が海外の留学斡旋をしている会社とのオンライン面談を用意してくれました。先生に話した同じ内容をもう一度、留学業者の人の前で説明したところ、「IELTSで6を取ることはそうあなたが思っているほど簡単じゃない」、「ドイツの大学についての情報が少ない」など、様々な点を両親の前で指摘されました。
あぁ、このままじゃ親にまで反対されると案じていましたが、父は「まぁでもなんとかなるんじゃないの」と励ましてくれました。
正直、なんでここまで反対されているのに応援してくれるのだろうと、自分でも驚きました。
その日を境に私は、「これ以上馬鹿にされるのは嫌だ!!」と心に決め、具体的な留学計画の準備とここでようやく(高校3年の夏)センター入試の勉強を本格的に始めました。(下記でも述べていますが、私の時はドイツ大学進学にセンター試験のスコアが必要でした。)
そこから、先生にも逐次具体的なプランやネットで調べた留学情報を共有したり、自分の意思の強さを見せたり、説得に時間をかけました。
そうしていくうちに先生も協力してくれるようになり、ドイツ進学について情報収集を助けてくれるようになりました。私の担任の先生は、その年が初めての受験生だったのに、「私、海外の大学に行きます!」と言い出す生徒がいるなんて想像すらしなかったと思います(笑)
両親や先生の説得は難しいと思いますが、やはり自分の「ドイツの大学に行きたい!」という意思を時間をかけてしっかり伝えていくことが大切だと思います。
最初から完璧な留学計画を作る事は出来ないので、少しづつ留学計画を最適化していく
まず、計画を立てるにあたって幾つかの課題が浮かびました。
一つ目の課題はどうやって短期間でIELTS6.0~6.5レベルの英語力をなるべく短期間で達成するのかというものでした。
なぜ、英語の資格が必要だったかというと、私が在席している学科は全て英語で授業が行われるからです。繊維・衣料マネジメント学科ではドイツ語コースもありますが、私としては、高校卒業後すぐドイツ語を一から勉強するのは時間がかかると思いました。もともと英語を軸に勉強したいと思ったので英語のコースを選択しました。
ちなみに、ドイツの大学では多くの修士課程を英語で学ぶ事ができ、多くの場合IELTSでは最低でも6程度が必要になるそうです。(大学によってはIELTS以外にも様々な英語試験で能力を証明できます。)
その時ふと思い出したのが、ある学生イベントで出会った方で、その方は私の先輩の友達でフィリピン留学に行ったことがあるとのことでした。
その当時は、まさか自分がフィリピンに行くなんで思ってもみなかったのですが、安くてマンツーマンで教えてくれるフィリピンの学校は今の私にぴったりなのではないかと思い、すぐにリサーチを始めました。
その方の紹介で話を聞いたり、自分でも調べていくと、そこのHELPという学校はIELTSをはじめとするテストコースも充実しており、スパルタ校でも有名で学校では母国語禁止のルールや英語学習のための様々な工夫がされていることを知り、とても魅力的に感じました。
ここで私は高校卒業後、フィリピンに4ヶ月留学することを決めます。
二つ目の課題はどうやってドイツ大学入学に必要な試験(アビトゥーア)と同等な資格を得るのかということです。私が調べた時には主に3つ方法がありましたが、センター入試の点数(62%以上)で資格を得る方法が一番効率が良く入学できるなと思いました。
ドイツ学術交流会DAADでは高校を卒業してからの入学基準は以下のように書かれています。
12年の学校教育を修了して日本の高校を卒業し、センター試験*を受験し、センター試験*で62%以上の成績をおさめた学科及び関連学科に出願できます。この場合、高校の1年、2年、3年のすべての学年において数学、理科(1科目)、外国語(1科目)、国語を履修した上で卒業している必要があります。高校の卒業証明書と成績証明書、および、センター試験*の成績証明書を提出する必要があります。センター試験*のどの学科で62%以上の成績をおさめるべきかは留学希望の大学にご相談ください。
出典:ドイツ学術交流会DAAD
センター試験で受験する教科については、詳細に書かれておらず不安でしかなかったので入学希望の大学に連絡して確認すると平均で構わないとのことでしたが、それでも最低何教科など情報はなく、取れるだけ教科をとることにしました。
また、二つ目の方法として日本の大学を1年間通って単位を取り入学する方法もあるので、保険として日本の大学も受験することを決めました。
インターネットを駆使しながら、ドイツ大学進学までの計画を少しづつまとめていき、最終的な留学計画は次のようになりました。
最終的な計画
- センター入試で62%以上を取得し高校卒業
- フィリピン留学へ4ヶ月(4月~8月)その年の冬までに必ず英語のスコアを取得
- 帰国後にバイトをしつつ空いた時間でドイツ語の勉強
- そして卒業から翌年の4月に大学に出願
日本の大学受験はセンター入試取得後2から3月の間に受験しました。もし、規定の62%が取れていなかったらどうしよう、マークミスをしていたらどうしようという不安もありましたが、自己採点で62%を超えていたのでその時点でフィリピン留学を最終決定しました。また、受けた大学から後に合格が分かったのでここでマークミスはないだろうと自分の中で仮定しました。
センター入試の点数は希望した人に大体5月〜6月あたりに発送されるとの事で、それを待つためだけの2、3ヶ月無駄にしたくなかったので、卒業後すぐにフィリピンへ向かいました。
私が第一希望にしていたニーダーライン単科大学の繊維・衣料学科では冬学期(10月~)からのスタートだったので、高校を卒業して一年間時間があることになります。
その間に並行して、必要な書類も揃えていきました。
私が希望していた学科では、高校卒業証明書、高校の内申書(高校でどの教科をとり、何単位あるのかわかるもの※のちに説明しますが、私はこの書類を忘れ大変な目にあいました。)英語能力の証明書、センター入試の結果が必要になりました。
また、高校からの書類とセンター入試の結果は日本語と英語もしくはドイツ語翻訳版が必要になりますが、高校には事前にお願いをすると英語版を用意していただき、またセンター入試の結果も英語版をお願いすれば発行してもらえます。学科によって必要かどうかは異なりますが、その他にもモチベーションレターやCVも準備しました。
あとは全てをコピーしてオリジナルと合わせてドイツ大使館に郵送して正式なコピーであることを承認してもらえば準備は万端です。
高校卒業後、英語力向上のためにフィリピンの語学学校へ
自分の中の課題である英語力をつけるためにフィリピンへ渡った私ですが、ここでは、現地の語学学校の様子について紹介できればと思います。
ドイツ大学留学の前に英語力を鍛えたいという方は是非参考にしてみてください。
語学学校は目標に沿って選び、なるべく厳しい環境に身を置く
私が一番フィリピン留学に求めていたのは、どれだけ自分が怠けずに勉強できる環境が得られるかです。
なぜかと言うと、私は生粋のサボり症だからです。
隙があればいつでもサボります(笑)
自分の性格をわかっていた私は、なるべくルールの厳しい学校を選び、最終的にバキオという場所に決めます。フィリピンといえばセブ島が真っ先に頭に思い浮かぶ方が多いのではないのでしょうか。私もそうでした。
その違いを調べてみると、セブ島はリゾート地であるが故にたくさんの誘惑があり、留学中でも遊びがちになる他、現地には女子に大敵のあのGがたくさんいるということでした。
一方、バギオシティは主に富裕層が避暑地に使うほど夏でも涼しく山に囲まれており、誘惑が少なく勉強に集中しやすい環境とわかり、最終的にバギオのスパルタ校であるHELPという学校のIELTSコースを選びました。
語学学校では楽しむ事も大事だったけど、自分に負荷をかけ目標を達成した先に泣くほどの充実感がある
私は校舎が二つに分かれている学校の初級者向けの校舎に一ヶ月、残り三ヶ月を入学条件のある上級者向けの校舎で過ごしました。
毎日の時間割は、マンツーマン五コマ(一コマ1時間程度)とグループクラス一コマ、授業の合間を縫ってリーディングテスト、それから単語テストの予習、単語テスト、各授業からの宿題というものでした。加えてポイント制があり、母国語を喋るとことや、授業の出席率、単語テストの合否がポイントに影響します。
ポイントが低いと先生を選ぶ権利や、部屋の割り当てなどの関わるので生徒は必死になってました。(笑)
最初の一ヶ月はIELTSについての基礎を主に学び、先生達はとてもフレンドリーで休み時間も一緒に雑談したり、実際に通ってみると母国語禁止のルールが緩いなど、スパルタと聞いていた割にはストレスなく生活していました。
しかし厳しい環境を求めていた私にとって「自分が想像していた環境とは少し違う」と次第に悩むようになり、結果、ここに長くいるのはだめだと決意し、元々二ヶ月の参加予定だったものを一ヶ月にしました。
その選択は今でも正しいと思っています。
なぜかというと、先生や生徒のテストに対する姿勢が違うからです。移動して初めての先生の授業で「あなた、どれだけ目標に達するのに努力が必要かわかってる?」と一言、そこから今のレベルから目指す得点の違いについて説明してもらいました。
そこで、私は自分の想定していた勉強量が全く足りていなかった事を思い知らされ、つい泣きそうになりました。
そこから毎週末に行われる模試で毎回良い点が取れるよう、より一層宿題や単語テストにも真面目に取り組むようになります。やはり周りのレベルが高いと刺激がもらえ、同じ目標を持った友達が周りにできるのはすごく良い環境だと実感させられました。
先生たちも厳しいだけではなく、親身になって勉学の相談に乗ってくれました。厳しくも優しい先生ばかりで休み時間も先生とダンスしたり雑談したり毎日楽しかったです。辛かった思い出もたくさんありますが、最終日には朝から寮を出るまで号泣するぐらいフィリピンでの生活が大好きになりました。
IELTS対策はがむしゃらに挑戦ではなく、自分の課題にしっかりと向き合う事が大事
以前に記載したように私の目標はドイツ入学のためにIELTSで平均6をとるということでした。
初めて実際のテストを受けたのはフィリピンに来て3ヶ月目ごろで、その時に平均で5.5を取得しました。その頃から模試で平均6が取れたりとれなかったりと続くようになり、英語に伸び悩むようになりますが、私は心のどこかで日本に帰国してテストを受ければ目標に達するだろうとばかり思っていました。
しかし、次第に私はスピーキングテストで毎回緊張して自分でも何を言ってるか分からなくなってくるようになり、何回受けてもスピーキングがうまくいかず失敗すること多くなりました。
結果が出ない焦りから、準備期間を取らずにテストが終わればすぐ次のテストを申し込んでいました。これは本当にお勧めできません!
結局、「このままではダメだ!」と自分の課題と向き合い、その解決策としてフィリピン生活時に仲良くなった先生とのオンラインコースでスピーキングの練習とライティングの添削を日々の学習に取り入れるようになりました。
そのおかげもあって最終的に目標スコアに達することができました。
帰国後はどうしても緊張感が抜けてしまって、集中できない日が続いたり、バイトをしたり、勉強する時間が減ってしまいました。今思うとあと1ヶ月長く滞在していればなと後悔しています。
日本へ帰国後、ドイツ大学へ初めて願書提出、そして失敗
IELTSを取得し、高校からの書類を揃えた私はuni-assist(発音:ウニ・アシスト/ドイツ大学へ願書を提出するためのオンラインサイト)を通して書類を提出しました。uni-assistには願書提出の方法が英語やドイツ語で丁寧に説明されているので、詳しくは公式サイトを参考にしてください。
話に戻って、結論から言います。
私の書類は希望大学には送られませんでした。
私が失敗したポイントは二つあります。
一つ目は、大学に掲載されているサイトを鵜呑みにしてしまったことです。書類を準備していく中で、希望する大学のホームページのリストを参考にしていました。そこには高校の成績と教科がわかるものが必要と掲載されていませんでした。
私は、近くにドイツ語の話せる人や英語のネィティブの知り合いがいたのでホームページや関連サイトを一緒に確認してもらったり、大学に問い合わせたり、細心の注意を払ったつもりでした。
なので高校の成績表は書類として準備はしていたものの、記載がないからと送付しませんでした。
結果、それが必要であったことがuni-assistから通知されなかったのです。
二つ目の失敗点は、期限ギリギリに書類を提出してしまったことです。例えば、私の様に何か書類を出し忘れた際でも提出期限内であれば書類を追加で送付することは可能です。
ですが、私はモチベーションレターやその他uni-assistでの記入などに慎重になりすぎて時間を使ってしまった結果、追加での送付がuni-assistの提出期限に間に合いませんでした。
私の大学の提出期限は6月の上旬で、4月の半ばに応募開始され、書類を送付したのは5月の半ばほどでした。そうするとドイツに届くまでの時間、uni-assistが審査に要する時間を計算すると余裕があるといえませんよね。
この二つの失敗により私はドイツの大学に入学ができませんでした。次の手紙はuni-assistから届いた大学の不合格通知です。
あきらめきれず、1年間待つことを決めてオーストラリアに渡る
uni-assistから通知を受け取って、ドイツにその年に行けないと分かった時はとても悔しかったです。
しかし「でもこのまま諦めたくない!」という気持ちの方が強くあったので、一年待つという決断は自分の中で難しいものではありませんでした。
でも、次の入学する機会は1年後。
「それまでに語学力は維持できているのだろうか?」
「このまま日本でバイトしていてイイの?」
この一年間を無駄にしないために私なりに考えた結果、「オーストラリアなら?」とふと思い出します。いや待て、なんで急にオーストラリアなんだと思われる方が多数だと思うので、きっかけや理由をもう少し話していきます。
オーストラリアに行くきっかけと理由
私がなぜ、オーストラリアに行こうと決めた理由は以下の二つの理由がありました。
一つ目の理由は、日本に比べてオーストラリアの時給が高い事が挙げられます。
私がフィリピンに滞在していた時、たくさんの人と出会う機会があり、高校を出たばかりで何の経験がなかった私にとって、他の人の海外体験談を聞くことができたのは大きなメリットでした。その中にはオーストラリアでワーキングホリデーを経験した人が多数おり、話を聞いてみると、オーストラリアの時給は高く、海外にいながらも貯金ができるというもの。。。
ドイツ大学進学の資金の当てを考えていた私にとって正直、海外で生活しつつ、貯金ができるのはとても魅力的でした。
二つ目の理由は、せっかく勉強した英語力をキープしたかったからです。
一年間、日本でバイトすることも考えましたが、オーストラリアは英語圏で働きながらさらに英語力が伸すことができ、海外経験が増やせることは利点でしかありませんでした。
ワーキングホリデーすると決めてからはあっという間で、ビザがオンラインで取れるというのもあり、私は願書提出を失敗したという悔しさをすぐに切り替えオーストラリアに渡るのでした。
カフェやショッピングモールで働いてドイツ大学入学へのお金を貯める
オーストラリアでドイツ留学のために資金を作る!
そのため、私はメルボルンという街で2ヶ月間は現地のカフェとショッピングモールにあるリテールストアの掛け持ちをしていました。
カフェでは調理の補助やウェイトレスとして働き、ストアではアパレル部門での接客、一日多い時は10時間毎日休みなく働いていました。
しかし、さすがに体を休める時間や、心の余裕がなくなりカフェでの勤務時間が増えたので上司に相談しましたが、「時間は減らせることはできるけど毎日来てほしい」と言われ途中でやめて、ストアだけの勤務を続けました。
オーストラリアの仕事環境は素晴らしいもので、日本で言うバイトの状態(part-timer)でも有給が貰えたり、病欠した場合も書類を出せばその分の給料が出ます。
土曜日や夜働くと何%かプラスでもらえる、また日曜日は時給が倍になったり、祝日は2.5倍になったりと待遇は最高でした。仕事も元々服に興味があったのでアパレルの部門に入れてもらいましたが、新しい仕事の経験にもなったし、英語での接客、同僚との会話など全てが勉強になりました。
ストアでは6ヶ月働いた後、4月になりドイツの出願のため1度日本に戻るのですが、5月からは再びオーストラリアに戻り、ドイツの大学合格が決まるまでの間、カナーボンという田舎町のトマト工場で働きました(笑)
結果、メルボルン6ヶ月で約5000ドル(たくさん遊んでブリズベン、タスマニアにも旅行に行きました!)、田舎生活で約5000ドル貯金でき、そこから年金やタックスリターンでも3000ドルほど返ってきました。
応募書類を何十枚も書いたり、何時間も力仕事したりと、現地で働くのは大変だった
オーストラリアで大変だったことは、ズバリ仕事探しです。
ワーキングホリデーでは様々な国からきているワーカーも多く基本的に仕事を見つけるのは容易ではありません。私は「絶対、英語環境で時給のいいところで働くぞ!」と、ひたすらレジュメを40枚ほど配り歩きました。基本断られたり、連絡は来ないので強いメンタルが必要です(笑)
もう一つ挙げるなら、トマト工場で働くのは身体的に大変でした。常に10キロの箱を運んで積み上げ作業を長い時で10時間行いました(笑)
それでも一緒に働く友達が良い人ばかりで何とかやっていけました。
2度目の願書提出でついに入学許可を手に入れる
前に少し触れましたが、2019年の4月に一度日本に帰った際、昨年の失敗を生かして準備していた書類を願書の応募開始後すぐに提出しました。
同じ失敗はしたくなかったので、オーストラリア渡航前に全ての書類を準備し、オースラリアから一時帰国したのも書類の紛失や何かあった時のために、日本で全て願書提出をしっかりとすませました。
その後、uni-assistを通して7月ごろに希望大学から無事入学許可をもらいました。大学側から合格の連絡が届いたところで、オーストラリアから日本に帰国してドイツ出発へ向けた準備を始めました。
当時を振り返ってみて
当時を振り返ると、あの時、あの書類さえ送っておけばと悔いが残ることもありましたが、今は特に自分の選択に後悔はありません。
それは、オーストラリアで1年間に渡り、今の専攻にも活きる有意義な経験を得られたからです。
もちろん、出発前の計画でうまくいく事に越したことはありません。そのために、私からできるアドバイスとしては、もう当たり前ですが情報収集を綿密にそして早め早めに行う事です。
これから大学を目指す方には私と同じ不安を味わって欲しくないです。
なのでぜひ、私の失敗談を生かして留学の夢を叶えてください。
著者:井早由(instagram)/編集:井上誠志
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