実力よりもコネだった僕のドイツ就活

こんにちは。

在独7年目、現地企業にて働いているせいやです。

 

初めてドイツに渡った当時は、まさか自分がドイツで、しかも現地企業で働くなんて思って無かったのですが・・・ 

 

人生何があるかわからないもんです(笑)。

 

僕は日本でも働いていた経験がありますが、最近になってようやくドイツと日本の労働環境の差、良い面や悪い面など様々なことが見えるようになってきました。

それでも、職場では語学の面でも100%わかる訳ではなく、今でも大変な思いをするときはあります。

 

今回は、ドイツで働こうと思ったきっかけからドイツの会社に就職するまでの道のりタイトルにもある通り、就活する時に実力よりも大事だった事などなど、徒然なるままに話していければと思います。

この記事が少しでも将来ドイツで働いてみたい人達の参考になれば幸いです。

留学と葛藤、まずは僕のこれまで

本当に楽しかった初めてのドイツ交換留学

語学学校の友達と/写真提供:せいや

初めて「ドイツ行ってみたい」そう思ったのは僕が通っている大学で交換留学制度があるとわかった時です。

もともとクラシック音楽もやっており、

「本場で聞けたらなー」

「海外での生活って楽しそうだなー」

とか、そんなもので、そこまで強い意志はなかったのですが、どうせ人生で海外生活できるのって今だけだし、ちょっと行ってみるか。という何とも曖昧な気持ちで留学しました。

ところがどっこい、まったく知らぬ言語(留学前に独検3級は取りましたが・・・)で生活ってつらい・・・。

 

何とかして喋ってやる!何とかして楽しんでやる!と意気込み、猛勉強しました。

ドイツ語を勉強するために留学、というより、

「友達ともっと喋りたい!!」

「遊びたいから勉強する!!」

という感じでした(笑)。

 

そのかいあって半年ほどで日常会話は問題ないレベル(B2)まで達し、友達とわいわい話したり、国内の旅行先で問題なく過ごせたりと、実感として上達具合がつかめました。

ただそれと同時ぐらいに日本へ帰国しなければならず、あっという間の楽しい1年が過ぎ去っていきます。

 

大学を卒業して僕はサラリーマンになったが、

帰国してからは何事も穏やかに過ぎてゆきます。

帰国直後に当時のドイツ語検定2級(現在の準1級相当)を受け、合格してからは残念ながらドイツに触れる機会もなく、もったいないとは思いつつも、「留学は経験の一つであり、人生の全てではない」と捉えていました。

 

その後無事、就職も決まり、どんどんドイツ語も忘れていき、さみしいと思う気持ちもありながら、日本の社会に身を投じていきました。

 

しかし!待っていたのは過酷な日々!!

 

就職先の業界が業界だったので、ある程度の残業は覚悟していましたが、毎朝5時半には出勤し帰るのは23時過ぎ。

日本の縦割り社会では文句も言えず、日々酷使され続けていました。

 

ふと自分の中にある言葉が

「これが日本か。こうやって一生を終えていくのか?」

?イや、こんなんじゃない。

自分がまだ若かったのもありますが、「それならいっそ!」と思い退職することにしました。

日本での職場では、良い仲間には恵まれ退職も悩みに悩みましたが、ここでの決断は今でも間違っていなかったと思います。

 

3.あの日の決断が今の自分に大きく影響した

友達の家でパーティー/写真提供:せいや

退職後、しばらくはゆっくりしようと、のんびりと生活をしていましたが、やはりもういい年なので新しい職場を探さないとな、と思っていたころ、大学時代に経験した輝かしいドイツ生活の思い出がよぎります。

 

「あの頃はよかった・・・」

 

なんて感傷に浸っていましたが、だったらもう一回だけ行ってしまえば良いのでは?ドイツ語の下地もあるし、ワーキングホリデーという制度もある。

そうだ!人生最後のホリデーに行ってしまえ!と思い、再びドイツへ行くことを決意します。

傍から見ると

「日本という社会から飛び出て世界へ!」

というと聞こえはいいのかもしれませんが、実際はつらい現実から逃げていただけかもしれません。

 

それでも当時はまだ若く、もしだめでもまだやり直せる、と思い1年間ドイツでの生活費を貯めるためバイト漬けの日々。これだったら会社に留まっていた方がお金は貯まったのでは、と今では思いますが、

 

「ドイツへ行くと決めたからには兎に角行く!」

 

「若さから何でもできる!」

 

と思い込んでいたのでしょう。

その判断が後々大きな決断であったことも当時は知らぬまま僕はドイツへ出発するのでした。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です